4月24日付春秋より

4月24日付春秋には、外国の名門大学入試の合格基準について書かれていた。
現在も日本では続いていると思うが、基本的に受験というのは入試試験の結果、つまり与えられた問題の正解数に応じて合否が決まる。
うん十年前の私の時もそうであったし、それ以前もそうであった。
その後も、偏差値というものがなくなったはいいが、基本的にはその入試制度に変化は見られない。

しかし、名門ハーバード大学の入試は点数よりも人間を見ている。
面白いことに、“考え方や行動の特性、知的想像力、対話力、社会意識などを、面接や高校教師の証言で判断する”という考え方が根底にある。
日本にも成績以外に内申点というものがあるが、どちらかというと合格ラインぎりぎりの受験生の合否を決定する材料に使われていることが多い。

学問というものは、色々な考えがぶつかる中で、新たな考えが生まれていくものであろう。
そうであるのに、日本の入試制度というのは、学問をする為のものではなく、あくまでもその学校に入る為のものだけになっている。
だから、学校に入学してから学ばない学生が増えるというのも一理ある。

考えてみたら、学校や塾で習った授業の紙のテストで、一点を競うなんて馬鹿らしい話だ。
人には得手不得手があり、覚えるのが得意な人、考えを突き詰めていくのが得意な人、自分の考えを言葉に発せる人など様々である。
それは、同じくらいの学力がある人間でさえ千差万別と言える。

大学全入時代と言われている今だからこそ、こういった入試のあり方を変えていくことが、多くの人間が学ぼうとする機会を掴めるのではないかと考える。
与えられたものをただ覚える。
与えられた問題をただ解いていく。
それらが不得意だった人が、社会でどれだけ功績を収めているか。
いい加減に学問のあり方が変わっていってもいいのではないだろうか。

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